初めての方へ

初めまして。岡山県南西部に嫁いで7年目のノボリフジミです。夫と義父と今年二十歳になるご長寿犬と暮らしています。

40歳を通り越した今、人生の羅針盤を失い大海原で漂うような小舟に乗っていた私は、手相をベースにした個人コンサルをなさっているぱなせさんと出会いました。

そこでブログをはじめてみてはと勧められた私は、「自分の人生、自分の力で漕いでみよう!」と梶を渡してもらった気がしました。

折しもその日は私の誕生日、ここから新しい船出にしてみようと決意しました。流れ去るだけ、垂れ流しにしてきた日々の中に、しっかりと自分の小舟の軌跡を残したい。

そして、いつかだれかの役に立てるなら、同じ思いを共有できたら幸せです。

経歴

学生時代

1.短大時代

高校生の頃、実家で定期購読していた新聞の連載で「風景考」というコーナーがあった。当時はインターネットもなく、主にテレビや本で得られる情報が主流だったので、日本中には見たことのない風景とその背景にある人々の生活があることに関心を持ち、この先生のもとで学びたいという一心で高校3年生の夏から受験勉強を始める。

しかし第1志望の学部は不合格、第2志望の短大に入学。

植物などの生物学、作庭技術、庭園歴史学などを学ぶうちに建築など自分を取り巻く街全体に興味がわく。高校3年生の冬、阪神大震災があってその復興の道のりでまちづくりという言葉をよく聞くようなり、雑誌等でその取組みを知っていたからかもしれない。

短大2年生の時、5歳まで住んでいた宝塚市を訪れた。震災後2年経過して、町には震災の傷跡も特に見当たらなかった。当時住んでいたアパートに行き、まだ住んでいた母の知人宅で話しを聞くと、目の前の築年数の新しいマンションが崩れたらしい。

2年間はあっという間に過ぎた。就職先も決まらず、もうすぐ卒業というところで、雑誌に掲載されていた夜間専門学校の説明会に参加したところ、ここなら学びたい事が勉強できると確信し入学した。

2.夜間専門学校

授業は平日午後6時半から9時半ぐらいまで。自宅から学校まで1時間半程かけ通学した。課題が多く徹夜して仕上げないと間に合わない。グループ課題も多く、級友とは議論を通じ仲良くなり、今も交流が続いている。

2年生のランドスケープデザインの授業初日。教室の壁一面に貼られた図面に釘付けになる。私もこんな風に図面を描いてみたいと強く思う。科目の中でも、短大時代に学んだ分野と被るランドスケープデザインは熱心に勉強した。

昼間は土木コンサルタントでアルバイト、ここでワードエクセルを始めて触る。主な仕事はデータ入力、文書作成。その後、建築設計事務所で模型作成、都市計画コンサルタントでテープおこし、アンケート集計などの経験を通じてスキルを積む。

卒業設計が大賞受賞する。これまでで1番楽しく取り組む事ができた課題が評価され嬉しかった。

独身社会人時代

1.都市計画コンサルタントでアルバイト

またもや就職先が決まらないまま卒業。専門学校時代の友人の紹介で都市計画コンサルタントのアルバイトを始める。ここでは土木系のまちづくり事業がメイン。大規模な宅地造成による景観デザイン等、正社員の補助的な仕事をする。

このままで良いものかと案じ始めた3年目、友人が家業を継ぐため退職するランドスケープデザイン事務所の引き継ぎを紹介されてすぐに転職。

2.設計事務所その1

所長は専門学校時代の先生。あの憧れの図面を書いた本人だ。一緒に働くことができて嬉しかった。所長はランドスケープデザインの本場アメリカの大学でも学びアメリカでの実務も経験豊富な方だった。ここでは駅前広場やマンション外構、宅地造成時の景観デザイン等、

3.アメリカへ

所長の末期癌が発覚。この先の不安ばかりの日々。所長がアメリカで共同で立ち上げた会社の社長が来日する。日本はその支社的な立場。当時、手描き図面がメインの進め方を見てアメリカの事務所でPCを使用した図面作成を学ばないかと誘われる。

まともに英語を話せないのに渡米決意。約2ヶ月間の海外で初めての1人暮らしを経験する。会話なんてほぼわからなかったが、何とかなるもんだ。

主にCAD、イラレ、フォトショを教えてもらう。もちろん仕事は任せてもらえなかったが、どんな仕事をするのか、またアメリカ人のライフスタイルも大変興味深かった。およそ2ヶ月の滞在後帰国。所長はその3か月後に旅立った。

4.設計事務所その2

アメリカで所長の共同経営者だった人が独立し別の事務所を開いており、そこで働く日本人男性と知り合う。彼の父が日本で同じようにランドスケープデザイン事務所を開業していると聞く。ほんの冗談言ったであろう父に連絡してみたらを真に受けて帰国後、早速連絡する。

私の苗字と同じ学生がインターンで働いていたらしく、勘違いして電話に出てくれた事が縁でその事務所でアルバイトすることに。

1年後正社員になる。主にコンペ等で力を発揮するデザイン性のある設計能力が高い組織だったが、私自身にそのようなセンスがない事を感じ取る。

公共団体の施設整備設計、マンションの外構設計等、主となる担当者の補助的な役割を担う。朝9時から遅い時は徹夜になることも多かった。

所長は交流関係が広く、しばしば会社に招待してもてなすことが趣味だったので、様々な人と出会う機会があった。地道に続けようと思えば続けられたが、ふと他の世界も覗きたくなり退職する。

5.コンサルタント事務所

とりあえず会社辞めた!って事を専門学校時代の友人に言いふらす。都市計画コンサルタントに勤める友人の1人から誘われ、もともと興味にあったまちづくりの現場で働く友人の姿もカッコよかったので、迷わず正社員として入社する。

今までの仕事とはガラリと変わり、図面とにらめっこではなくなった。現場に出て地元の人の気持ちに寄り添い、いかに町を改善していけるかその立場を最重点に置いて行動できるのは、有名どころのコンサルタントもたくさんあるが、この会社しかないできない事だと思う。

結婚を機に岡山へ転居。